日本陸上長距離界のエース、大迫傑選手。
マラソンの日本新記録保持者であり、オリンピックでマラソンのメダルが期待できる選手です。
マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)では、惜しくも3位でしたが、巻き返しを図るでしょう。
そんな大迫傑選手は、もちろん学生時代から強く、箱根駅伝でも大活躍。
大迫傑選手の箱根駅伝の成績と、学生時代の記録を調べてみました。
大迫傑の箱根駅伝の成績
@EKIDEN_News 2013*箱根駅伝*3区*大迫傑選手 pic.twitter.com/UlB2PbhH
— *KOTO* (@kotoloveminnie) January 5, 2013
第87回(2011年):1区 1位 1時間02分22秒
第88回(2012年):1区 1位 1時間02分03秒
第89回(2013年):3区 2位 1時間04分44秒
第90回(2014年):1区 5位 1時間02分12秒
大迫傑選手は、早稲田大学で1年生のときから活躍。
1区を任され、2位に54秒の差をつけて区間賞の快走を見せます。
大迫傑選手の見事なスタートダッシュが、早稲田を総合優勝へと導きました。
新人のときから、先輩に化け物扱いされていたようです。
2年次も、前回以上の走りを見せて1区で区間賞。
早稲田大学は総合で4位でしたが、大迫傑選手はエースと呼べる活躍。
3年次は、初めての3区。
東洋大学の設楽悠太選手に、8秒及ばずの区間2位。
しかしながら、9人抜きでエースの意地を見せました。
ラストの4年次は、1区。
しかし15kmから遅れ始め、トップとは49秒遅れの5位。
大迫傑選手は、すでに練習拠点をアメリカにおいていました。
この頃には箱根駅伝ではなく、世界を見据えていたのでしょう。
大迫傑は箱根駅伝が嫌だった
箱根駅伝で活躍した大迫傑選手ですが、本人は全く興味がなかったようです。
「箱根駅伝は当時から興味がないと言っていましたし、3年生の時には監督にも『本当に出たくないんですけど』って言っていたような気がします。
Numberweb 2019/08/30
箱根駅伝は、大学スポーツの一大コンテンツ。活躍すれば、一躍脚光を浴びる存在になれる場です。
陸上で長距離に携わる人は、みな箱根駅伝を目指していると思っていましたが、違うのですね。
大迫傑選手は当時から、マラソンで世界を獲ることを考え続けていたようです。
しかし、そんな大迫傑選手も4年次にはキャプテンに就任。
部員をまとめる優れたキャプテンシーがあったわけではないようですが、4年間切磋琢磨してきた仲間とともに役目を果たしたいという気持ちだったようですね。
大迫傑が箱根駅伝に苦言ツイート
大迫傑選手は、非常にロジカルな思考を持っているようです。
そして学生時代から、先輩にも監督にも思ったことを言うスタンスを取り続けていました。
箱根駅伝には興味がない大迫傑選手ですが、陸上に携わるものとして、健全に発展してほしいという願いからの発言なんでしょうね。
大迫傑の学生時代の成績
2006年(中学3年)第33回全日本中学陸上選手権大会3000m:3位
2008年(高校2年)全国高校駅伝 7区:区間賞
2009年(高校3年)全国高校駅伝 1区:区間賞
2010年(大学1年)世界ジュニア選手権10000m:8位入賞
2010年(大学1年)第23回上尾シティマラソン:優勝(1時間01分47秒)
2013年(大学3年)カーディナル招待10000m:2位(27分38秒31)
2018年に日本人初の2時間5分代で、日本新記録を樹立した大迫傑選手。
やはり学生時代も凄かったですね。
大迫傑選手は町田市立金井中学校で陸上を始め、陸上の名門である長野県の佐久長聖高校からスカウトされます。
かなり負けず嫌いな性格で、高校時代も上級生にもひるまずトップを目指していたようです。
なんでも一番というこだわりが強かったそう。
故障も経験して苦しんだ時期もありましたが、反骨精神で実力を養いました。
その後、早稲田大学に進学。
箱根駅伝での活躍は、最初に記した通りです。
早大の恩師である渡辺康幸監督は、大迫傑選手を50年に一人の逸材と評します。
まだ決定していませんが、東京オリンピックで見たい選手ですね